oze-daisukiのブログ

シニアになり、いよいよ年金受給者の仲間入り

ウソでも スキー指導員目指していた。

4/19(日) ずばり 晴れ 微風より少し強い風


20才ごろ、スキーに夢中になっていた時期がありました。
 季節労働者のように スキーをしながら、スキーシーズンオフは派遣の
短期のアルバイトをしながら、ゆくゆくは田舎に定住する。


果てしない夢を持っていた --- 


長女の姉は 親からも期待され、ゆくゆくは 婿殿を迎え、この家の墓を継ぐ。 ・・・ 小学生の頃からがり勉である。
今で言う、塾を掛け持ちしている優等生で、私は、出来ない妹で有名だった。


わたしの母の時代は、親から 女に教育は必要ないと言われ、悔しい思いがあった
ようだ。  わたしが生まれる2か月前ぐらいに他界していた祖母は明治生まれだが、
女学校を卒業しているらしい。


あの 鬼嫁のような母が この人の為なら なんでもすると言うぐらい尊敬していた。


そんな理由から姉は 家系を守るように つねづね 言われていたようだ。


そんな 事情なので、私は自由に、そのような 夢を描いていた。


しかし、スキーの指導員資格は厳しい道のりで、上手くなれず。
顔見知りの コーチに


   『 相変わらず、上手になれないね ~ 』 常々言われながら・・・。


怪我をしてしまい、 しばらく スキーから離れた。


50歳ごろになり、再び、スキーをやりたいかな。


勤め先が千代田区だった。 千代田区スキー教室開催があるのを知り、
教室の内容を見ると 私の好きな 志賀高原 それも 区の開催にも関わらず、


 『 プリンスホテル (★★★) 』 焼額山スキー場 


宿泊・往復バス代、レッスン付き とにかく、費用が手頃。 
4人部屋のベットルーム。きれいだし。 即、申込をする。 


スキー場に着き、 レンタルスキーセットを借りる。


驚きである  スキー板が 短い。 それに、スキー板の先が太く丸い。
(カービンスキー板)


なに これ。滑り方も 板を 閉じろ から ーー→ 板の間隔を 開け である。


すべて、 時代の流れを感じる、レッスン前に おそる おそる 滑る。


  転ぶ、転ぶ。 また 転ぶ。 怖い。  やばい。


20年ぶり、 スキー板は訳がわからないし、体力がないので、初心者よりちょい上のクラスでレッスンを受ける。


コーチも この人は 初めて見る人、それに基礎が出来ているのに、?
違う世界の滑り方で ? ? ?


   『 足を閉じるな、閉じるな。 開け 』
   『 なぜ スキー板を閉じるの ? 』
   『 20年ぶりなので、閉じる スキーを習いましたので 』
   『 しばらくは、足を開くのに、時間がかかりますが、頑張ってください・・・』


50才の手習いは 始まった。