oze-daisukiのブログ

シニアになり、いよいよ年金受給者の仲間入り

ジャンヌダルク

5/4(月)薄曇りのある晴れ 


フランスに旅行したのは、最後の2回目は冥途の土産話として もう一度
行きたいと思い、3年前に姉と団体ツアーに参加した。


1回目の時は40年前の時で。国内の旅行も宿泊先がユースホステルが絶好調に人気があった。 ユースホステルが企画したヨーロッパ、エーゲ海を周遊する21日間の旅行だった。


その当初は US$が360円/$の時代で、ブランドなんか 全然知らない時代だった。
楽しい 思い出だ。


2回目は行っていない、モンサンミッシェル、シャルトル大聖堂、ロワールの古城、
ルーアン、ジベルニー(クロード、モネの家) 最後にパリ


ノルマンディ地方のルーアンの町から
 ノートルダム大聖堂、ジャンヌダルク教会、大時計

ノートルダム大聖堂 ゴシック建築。細かなレースのような彫刻とも言われ。
素敵でした。
モネがノートルダム大聖堂を描いた作品は、パリのオルセー美術館にありました。
それは、 なんとなく ぼやーとした霧がかかったような作品です。


オルセー美術館はもとは 駅舎として建設され、その後 美術館として残されています。
その 駅舎としての絵を モネは描いています。


モネはパリ・オランジェリー美術館に睡蓮の作品が壁に4面ぐらいだったか?
記憶がかなり 薄れております。
大きな作品が壁を囲むように飾ってあります。 それは壮観な絵で息をのむ程 圧倒されます。



大時計 14世紀から1928年まで止まることなく 動いていたと。
すごすぎる。 今は中を見る事が出来るようです。
 

   ジャンヌダルクの火あぶりの刑を行った場所


フランスとイングランドの百年戦争をかけての戦いの時代に、フランスは負け続ける中
 ジャンヌダルクが引き連れた隊は闘いに勝つ。 女性でありながらとジャンヌを
よく思わないイングランド側に協力するフランス一派によって異端児とされ、
火あぶりの刑で処刑された。その場所はジャンヌダルク通りの大時計の少し先の広場。
張り付けされた場所の近くには、ジャンヌダルク教会がある。
  500年以上たって、ローマカトリック教会によって 聖人と認められる。
享年19才の少女であります。



パリ市内に黄金に輝いた  『 ジャンヌダルク の 像がある 』